こんにちは! びるこです。
ブログ訪問ありがとうございます。
今出会えてよかったと思える言葉に、すごいタイミングで出会えることがあります。
誰しもが経験することだとは思いますが、違う時期に出会っていたら何も感じなかったであろう言葉でも、ずっしりと響いてしまうことがあるものです。
◎「夜が明ける」西加奈子
今回私が「今読んでよかった」と思ったのは西加奈子さんの「夜が明ける」です。
このブログでは何度も西加奈子さんの本を読んで感じたことを書いていますが、今回も例にもれず西さんです。
西さんはとてもチャーミングな作家さんで、プロレスをこよなく愛し、かわいらしい関西弁が素敵な方です。
オードリーの若林さんに「若林君童貞やんなぁ?メタ(メタファー)的な意味で」とラジオで言い放ったエピソードが個人的には大好きです。
今回読んだ「夜が明ける」は徹底的に貧困と虐待、ハラスメント、格差、差別など、一億総中流や一億総貧困といわれる今の日本で目を背けてはいけないテーマが書かれており、読んでいて終始苦しかったです。でも400ページ、一気に読みました。
「夜が明ける」の内容には触れません。
冒頭に書かれていた3名の言葉を読んだタイミングで、これはこれから子供を育てていく身として絶対に忘れない言葉にしようと思ったので、その3つを紹介します。
【「預言者のことば」カリール・ジブラン】
あなたの子供は、あなたの子供ではない。
命そのものが再生を願う、その願いの息子であり、娘である。
彼等はあなたを通して産まれてくるが、あなたから産まれてくるのではない。
彼等はあなたとともにいるが、あなたのものではない。
あなたは彼等に愛情を与えても、あなたの思考を与えることは出来ない。
何故なら、彼等の心は、あなたが夢の中で訪ねてみることもできない、あしたの家にあるからだ。
【アマルティア・セン】
貧困とは、潜在能力を実現する権利の剥奪
【市原悦子】
悪人善人というのはない。
人には美しい瞬間と醜い瞬間があるだけだ。
◎親と子ではない、人と人だ
3つのうち、カリール・ジブランさんの「あなたの子供は、あなたの子供ではない」という言葉のインパクトに完全にやられてしまいました。
私は現在妊娠6か月半ですが、妊娠が分かったときに
「子供のことは自分の分身だと思って」
という同じ言葉を複数人から言われました。
非常に違和感がありました。
私は私であるし、今私の体内に宿っている命はあくまでも私とは異なるものです。
間違っても私の分身ではないし、私と同じ何かをもったものではありません。
遺伝子上外見は似ているでしょうが、同じような考えを必ず持つわけではありませんし、その子の考えていることはその子にしか分からない。
それを明確に言い表している言葉があったことを、今まで目にしたことがなかったので
「このタイミングで出会うか~」と感動しました。
カリール・ジブラン(1883~1931)はレバノンの詩人で、若干15才でこの言葉が載っている「預言者」の草稿を書いたのだそうです。
15才・・・・嘘だと言って・・・・。汗
話を戻しますが、自分の子供は自分の分身のようなもので、自分と同じ考えでいてくれるだろうという親側の思考は危険なものがあると感じています。
「子供を分身だと思って」は「分身だと思って大切にしてね」という意味なら良いのですが、親が子に自分の考えを押し付けるというのはよくあることであり、エスカレートした結果親という立場に優越性をもたせたハラスメントに繋がっていくのだと思います。
与えるのは愛情だけ、思考は与えてはならない。
カリール・ジブラン、家訓にしようと思います。
◎孝は無理強いするものではない
渋沢栄一先生も「論語と算盤」の中で親子について書いてくれています。
自分の思う通りにならない子どもを、親不孝だと思うのは大きな間違いだ。
「孝」の道はそんなに簡単なものではないだろう。
親の思う通りにならず、いつも親もとにいて面倒を見ないからと言って、それは必ずしも親不孝な子ではない。
物質的な援助や形式的なものだけを親孝行として捉えるなと言っているのですね。
親と子であっても、人と人として接する中で尊敬し合える関係になり助け合えることが大切なのだと思います。
夫婦間でも同じことだと思います。
戸籍上の関係として夫だからこうあるべき、妻だからこうすべきという概念は遠い昔のもののように感じます。
支えたい、助けたいと思うから支えるし助ける。
立場は関係なく、それだけで良いのだと思います。
これから親になる身として、産後どんなに育児が大変だろうとこのブログを書いていた時の気持ちを忘れないようにしたいので書きました。
最後までお付き合いいただいた皆様、ありがとうございました。
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